幸せなパートナーシップの秘訣

ツインレイの成長レシピ、パートナーシップからいろいろなことが紐解けます。よろしくお願いいます。

心に残るセリフたち5

こんにちは、真です。

 

想像(イマジネーション)から創造(クリエーション)へ。

大好評連載中の自画自賛笑)コーナー「心に残るセリフたち」をまとめてみました。

今回は⑲~⑳です。

自分が観たり、聞いたり、読んだり、歌ったりしてふれてきた芝居や映画、小説、エッセイ、音楽などから印象に残っているセリフ(ことば・歌詞・名言・コメントなども含め)を思いつくままに書いています。

書いているうちに横道にそれたりしながらもけっこう面白いエピソードを発見したり、思い出したりして楽しい時間です。

これを読んで同じ趣味だったり、関連する記憶を思い出したり、興味を持っったりしてもらえるとうれしいなぁと思います。

 

 

■心に残るセリフたち■
「水の駅」
大田省吾+転形劇場

 

 

この舞台(芝居)にはセリフはありません。

無言劇です。

劇作家・演出家の大田省吾さんが主宰した劇団「転形劇場」(1968~1988)で1981年に初演された「水の駅」は沈黙劇・無言劇と呼ばれ、パントマイムのように情景や物語をセリフなし、しゃべらないで演じる(説明する)のではなく、独特の表現体で海外でも高く評価されました。

『水の駅』、『地の駅』、『風の駅』は沈黙劇三部作としてくりかえし上演されました。

 

「水の駅」では舞台上に忽然と取っ手の壊れた水道の蛇口がありそこからひとすじの水が流れ落ちているだけの水場=水の駅が舞台です。そこに少女や男、夫婦、老婆等が訪れ、ひとりであったり、交流(見つめあい、ふれあい、格闘?)しそして去っていく・・・・動きは基本スローモーションで日本の伝統芸能の能のような静けさと緊張感がありました。水の落ちる音と静かな音楽・エリック・サティのジムノベティが効果的に使われていました。水の音が飲む行為などで遮断されすべて無音になった時、観客を含め劇場全体が沈黙劇に参加している感覚を味わいました。言葉で説明するのことは難しいですが、約1時間半の舞台で人間の営みが凝縮されているようでした。

セリフはありませんが、ことば以上のコトバが身体から発しられていました。

 

舞台を観たのは1985年ごろで転形劇場が練馬に自らの劇場T2スタジオで上演した時でした。映画やテレビで活躍する前の大杉連さんも23歳から解散まで転形劇場で舞台に出演していました。

 

 

1951~2018

結婚した当時、T2スタジオで演劇公演をやったことがあるのですが、大杉連さんや転形劇場の皆さんと一緒にみき子とも写真を撮りました。(押入れのダンボールに入っているので今はお見せできなくて残念です)メンバーのひとりの女優さんとその後、パフォーマンスをやったりもしました。知り合いの友人も転形劇場のメンバーだったりと意外と繋がってたりしていました(笑)

 

 

 

※心地良いメロディ

 

 

※貴重な記録です。

 

 

1939~2007

1977年初演の「小町風伝」(第22回「新劇」岸田戯曲賞受賞)

 

 

大田省吾さん+転形劇場の皆さんすてきなセリフをありがとうございます。(真

 

 

■心に残るセリフたち■

 

 

        作詞 飯沢匡

        作曲 小森明宏

 

        ブーフーウー

      さんびきの こぶた

      いちばんうえが ブー

      ブーブーブーの ぶつぶつや

      にばんめが フー

      フーフーフーの くたびれや

      いちばんしたが ウー

      ウーウーウーの がんばりや

      ブーフーウー

      さんびきの こぶた

 

 

50歳以上の年代の方には記憶にあると思います。
NHKで1960年前半に放送されていた幼児番組で『おかあさんいっしょ』のなかのひとつでした。
おねえさんがカバンから小さなこぶたの人形を取り出して小さな部屋などのセットに置き、ネジを巻くと人形たちが元気よく動きだし、しゃべって物語が始まります。



あの頃の、おねえさんです

 

 

その不思議な展開にくぎずけになって見入っていた記憶がありす。
今ならCGとかで簡単に色々な映像表現ができますが、テレビ創世記は、今の小学生が見ても(笑)ちゃう手作り感満載でした。
でも、今YouTubeで残っている映像を見ると、よく出来ていて小さい子なら楽しく見れるなぁと思いました。

声優は、長男ブー「大山のぶ代」、次男フー「三輪かつえ」、三男ウー「黒柳徹子」、オオカミ「永山一夫」、が担当していました。

 


娘の頃の『おかあさんといっしょ』のメインキャラクターと言えば
じゃじゃ丸、ピッコロ 、ポロリ~🎶  でした。

 

 

息子は「ぐ〜チョコランタン」の時代でした。

 

 

娘とテレビの話から《ブーフーウー》の話になり、
ビデオとかない時代ですから見てもいないし、話をしたこともありせんでした。
でも娘は知ってる、知ってる記憶があるというのです。
ブーフーウー》をリアルタイムに楽しんだインパクトな記憶のDNA

が娘の胎内記憶に入っていたのですね。
親子ってオモシロたのしいね。

 

 

 


現在は【ブーフーウー】といえばオシャレな子供服のブランドのよですね。

 

作詞の飯沢匡さんは劇作家・演出家・小説家で多くの演劇や子供作品を残しています。ブラックユーモアあふれる喜劇が多かったと思います。文学座で飯沢作品をよく公演していました。

いわさきちひろ絵本美術館(現・ちひろ美術館)初代館長でもあったそうです。黒柳徹子さんとは「ヤン坊ニン坊トン坊」以来師弟関係にあり、ラジオ・テレビ・舞台と多くの作品で競演し、飯沢さんが亡くなって久しい今でも、黒柳さんは飯沢さんの事を話す際は常に敬語で思慕の念を込めて話しているそうです。

 

私が高校時代演劇部に入って最初に公演したのが飯沢匡さんの「陽気な地獄めぐり」という喜劇でした。演劇部で活動するのが楽しいから高校に通っていたような高校時代でした。

 

1909~1994

 

飯沢匡さん、すてきなセリフをありがとうございます。(真

 

☆心に残るセリフたち①~③☆彡

☆心に残るセリフたち④~⑥☆彡
☆心に残るセリフたち⑦~⑨☆彡

☆心に残るセリフたち⑩~⑫☆彡

☆心に残るセリフたち⑬~⑭☆彡

☆心に残るセリフたち⑮~⑯☆彡

☆心に残るセリフたち⑰~⑱☆彡

 

いかがでしたか。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

気づいたことなどコメント頂けるとうれしいです。

 

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